メイン

人 アーカイブ

2006年11月27日

19年ぶりの友人へ

土曜日の晩、中学時代からの20年来の友人でホテルに務めているFさんから突然メールが来た。
なんと、同じく中学時代の親友だったスイがFさんのホテルで明日結婚式を挙げるということだった。
スイとは高校が別々で大学に上がる頃には音信が途絶えてしまっていた。
彼の実家は歯科医なのだが、彼もまた歯科医になったそうだ。夢が叶ったんだなぁ、スイ。
相手は局アナだそうだ。
懐かしさと思わぬ知らせにどうしても一言お祝いを言いたくなった。
インターネットで調べると、朝7時までに申し込めば、その日の午前中に届くという電報があったので、祝電を送ることにした。

--------------------------------------------------------
スイ、ご結婚おめでとうございます。
中学のクラスメートだったTです。
中学卒業以来だから19年ぶりくらいでしょうか?

突然のことで驚かれたことでしょう。
昨晩、本当に偶然中学時代の友人からスイが結婚することを耳にしました。
懐かしくてどうしてもお祝いを言いたくなりました。

あの頃は学校でよく一緒に遊んだね。
夏休みの宿題でスイとK君と私の3人でスイの家に徹夜してA中学校の模型を造ったこと、覚えてますか?
またいつの日か再会できるといいな。

スイ、本当におめでとう!どうかお幸せに!
--------------------------------------------------------

祝電披露されるのは気が引けたので、Fさんに頼んで彼に手渡して貰った。

スイはとても驚き、懐かしがり、そして喜んでくれたそうだ。
なんと局アナの奥さんは僕と高校が同じで僕のことを知っていたそうで、二人で喜んでくれたそうだ。

それを聞き、大切な絆を一つ取り戻すことが出来たような気がした。
19年ぶりの絆、大切にしたいと思う。

直前に教えてくれたFさんにもとても感謝している。
中高時代を思い出し、友人の大切さが心にしみた、ちょっとセンチでほろ苦い週末だった。

2006年11月28日

二人ともおめでとう。

おめでたい話が続く。
我が弟二人から続けざまに朗報がもたらされたのだ。

5歳下の弟に子供が出来たそうである。
両親にとっては初孫である。大層な喜びようであることが想像に難くない。
長男(ワタシ)がブラブラしてる分、三男は兄弟で最も堅実に人生を歩いてくれているようである。
ところで実はこの弟が生まれた時、当時4歳だったワタシは弟の命名に参加した記憶がある。
”マーボー”と呼ばれていた従兄弟の呼び名を羨ましく思っていた私の言い放った「ターボーがいい!」の一言が、現在の弟の名前になったと固く信じている。
そんな弟に子供とは、、、ちょっと複雑な心境ではある。
いっそもう一度命名に参加してみるか?
おめでとう。

その直後、今度は2歳下の弟からメールが来た。
以前彼女の報告は受けていたのだが、11月11日に入籍したとの知らせだ。
オイオイ、ダブルで朗報とはたたみかけてくれるではないか。
昔、兄弟一やんちゃだった次男も落ち着くこととなった。
おめでとう。

我が家系の将来は明るいようである。

正月は賑やかになるだろう。
想像される両親からの小言をかわす策を早めに検討することにしよう。

2006年11月30日

みんな元気で!

今日一杯で友人が3人会社を去る。
仲の良い仲間がいなくなると言うのはやっぱり寂しいものだ。

これからもみんな元気で!!

2006年12月01日

同期飲み会

同期全員で飲みに行った。
平成9年入社組。現在14名。
現業務も営業、企画、開発、運用と様々で、
経歴も支店、西日本本社、研究所、グループ会社と様々、
年齢も28,9歳くらいから35,6歳までと様々である。

同期というのはありがたいもので、ただ同期というだけで仲良くなることができる。
遠慮が要らないから話もはずむ。
お互いの刺激にもなる。

飲み放題、食べ放題の焼肉飲み会は大いに盛り上がった。

話が少しそれるが、
僕は仕事において私事をさらけ出すのはあまり好きではなく、「仕事は仕事、プライベートはプライベート」というポリシーなので会社でプライベートな話を誰彼することはあまり無い。週末の出来事などを話すこともあるが、内面に触れる話をすることはほとんど無い。社内ではある程度オフィシャルな関係を保っておくほうが、仕事が”なれ合い”にならず都合が良いと思っているからだ。

入社して以来、行き過ぎて”なれ合い”になってるケースを何度か見たことがある。
また、公私の境目が無くなって最低限の遠慮がなさ過ぎる人がいるのも困ったもので、そういう場合僕はそもそも相手にしないようにしてきた。

しかし、オフィシャルな関係だけでは寂しさが残る。
心が通じ合い、刺激になり、それでいてなれ合いの無い関係が本来は理想的だ。

自然と仲良くなり、職場ではオフィシャルに接することのできる同期同士というのは、そういう理想的な関係を作りやすいことが多い。

その点、僕は入社以来、互いに刺激し合い協力し合える良い同期に恵まれてきたと思う。
今の同期も、曲者揃いの個性派揃いだが仕事は皆プロで得難い同期ばかりだ(と思う)。


次の同期飲み会が今から楽しみだ。

2006年12月04日

異能の人

毎週日曜日、楽しみにしている番組がある。
「情熱大陸」
見ている人も多いのではないだろうか。
僕は見始めて3,4年くらいだが、この1年はDVDレコーダーにほとんど録画している。

”ほとんど”と書いたのは、時々ナイター延長などで直前の番組である「ウルルン」とかいう二・三流のタレントが安っぽい感動を押し売りするような番組が録画されてしまうことがあるためだ。その場合は無論即消去する。

取材される人物の専門分野は様々で、世代もバラバラ。その道でメジャーであったり異端児だったりもするが、共通して言えるのが必ずその人なりの”スピリット”を持ち全うしているという点だ。
そういう彼ら彼女らに僕は惹きつけられてやまない。
強い思い。信念に基づく行動。もはやそれを意識することなく自然に纏い”境地”に立つ人。
そういう彼らの生き様に共感し、時に感動すら覚えることもある。

前置きが長くなったが、昨日は注目していた人物が登場した。
荒井裕樹、30歳。弁護士。

僕は以前研究所で特許を書いたり数年前に知的財産権について勉強していた時期があったので、青色発光ダイオードなどの職務発明訴訟などで有名だった升永弁護士のことは新聞などで注目していた。あの中村教授が全幅の信頼を置く知財のエキスパート。荒井氏はその右腕の若い弁護士である。

番組の冒頭、荒井氏は「異能の人」と呼ばれる弁護士で、その活躍は同世代で群を抜き、入社3年目の20代の頃から年収は1億円を超えるというフリがあった。

僕より何歳か年下で快刀乱麻を断つ活躍を見せる荒井氏とは一体どんなもの凄い人なんだろう?

しかし現れた人物は僕の予想していた「論理を立て板に水のごとく語り相手を言葉でなぎ倒すクールな人」ではなかった。決して饒舌ではないが、頭の中で伝えたいことを考えながら一言一言言葉を選んで淡々と話をする人だった。会話には交渉のエキスパートとしては幾分の地味さを感じたものの、眼光には力があり表情には自信がみなぎっていることに気づいた。

異能の人と呼ばれる彼だが、綿密で地味な調査、根拠に基づく論理構成、相手に分かって貰うための資料作り、、、そしてそのテレビ映えしない作業について、誇張することなく包み隠すことなく語る世俗的な”無駄”のなさ。異能と呼ばれる人を支えるものは実は以外にも地味な要素がほとんどだった。それが結果として、本質を見抜き、相手の理論の弱点を見つけ、パズルのように論理を組み立て、交渉に打ち勝つことに繋がっている。

もう一つは、今の彼を導くこととなった升永弁護士の裁判準備資料に深い創造性を感じ取ったというアンテナの鋭さが印象に残った。

今後益々注目を浴びていくであろう知財訴訟の時代を担っていく一人であることは間違いない。今後も注目の一人だ。

2006年12月13日

おめでとう

職場の飲み会から帰ってきてメールを開くと、週末結婚式を挙げた友人から写真が送られてきていた。
学生時代の友人の一人、ケンちゃん。寡黙で大人しいタイプなのであまり社交的なタイプではなかったが、学業が優秀だった。
写真の奥さんは明るく朗らかな感じだ。無愛想なケンちゃんと対照的だが、案外こういうカップルがうまくいくのかも知れない。(なんてケンちゃんに言ったら怒られそうだが。)

写真には学生時代の友人達も顔を並べている。大学の工学部で学部時代の4年間を共に過ごした連中。あの頃はよく昼ごはんを一緒に食べたり遊んだりしていたが、今では誰かが結婚する時くらいしか集まることも無い。しかし、集まった時にはその空白時間を埋めるくらいの勢いで飲んで歌って騒ぎまくる。学生時代の気持ちに戻ることができる貴重な悪友たちだ。
今回は一年半前に集まって以来。今回僕は別件があって行くことができなかったので残念だった。きっと今回も式前夜は大変な騒ぎだったことだろう。

次はいつになるだろう。独身はあと3,4人。ここからのレースは先が長そうな気がする。
いや、既に全員別の方向へコースアウトしているのかもしれない。。。

ということで、おめでとうケンちゃん。

2006年12月16日

T課長宅忘年会

今日はT課長宅での忘年会に招いていただき西宮まで行って来た。
T課長は5,6歳?年上の友人HI君の上司である。

西宮の駅までピカピカの黒ベンツでお出迎え。阪神で買い出しを済ませ山手の閑静な住宅街へと向かった。駅から20分ほど、見晴らしの良い山の中腹あたりにあるT課長のマンションに到着。まわりは高級住宅が建ち並んでいる。

広いリビングダイニングで焼肉忘年会が始まった。
話はほとんど仕事や会社の人の話。僕は部署が違うから、別の部署の人たちに囲まれて話をするのはなかなか新鮮な感じがする。

そんな会話の中、彼らに言わせると僕は結構言いたいことを言い、なかなか考えを曲げない頑固者であるらしい。最近は毒舌?とさえ考えられているようだ。T君(僕)はきっと社長にも思ってることを言うだろうし死んでも曲げないだろうとまで言われてしまった。
仕事では、無駄な発言は意識的に抑えるようにしているが、自分に意見や思いがある時は強く主張するようにしているのでそのように映っているのかも知れない。
だから、そう言われるのは僕にとってはむしろ褒め言葉であり望むところではある。。。が、主張を曲げないなんてことは無い。これでも一応周りに気を遣うA型である。

いい感じでお酒がまわり、会議のあり方から会社の人物評など話題が徐々に危険な方向へと向かっていった。これ以上は書けないが、皆いろいろ腹にためたものがあるようだ(^^;
みんなすっかり吐き出していい忘年会であった。

21時過ぎにおいとまし、HI君お勧めの梅田のワインバーで1グラス1500円のブルゴーニュを奮発。高いけど美味!独身貴族万歳!?

更に自宅で頂き物の広島ラーメンを肴に、yu-minさんグレープフルーツでカクテルを数杯。

酒漬けの一日であった。。。
まぁ、たまにはこういうのも良いのではなかろうか。

2006年12月29日

BBさんを囲む会

今日帰福した。
さっそく飲み会の予定。
先日異動した元同僚のBBさんを囲んで帰福組で飲んできました。
とは言え、BBさんは飲み会のことをすっかり忘れており、連絡を受けて北九州からバスで駆けつけてきたのですが。BBさん変わらずのオトボケっぷりですね。でも家族を振りきってわざわざ出てきたのは流石。

場所は新天町のふとっぱら天神というHU君が学生時代から使ってた安くて旨いという居酒屋。
4時間くらい、かなり食べて飲んだけど一人3000円?大阪だったら倍はします。
やっぱり福岡の居酒屋はいいなぁ。

BBさんが合流してからはほとんどBBさんの職場の話。
環境が変わって大変そうだけどとても元気そう。
きっと水が合うんだろうな。

ということで、帰省早々から終電近くまで話し込んでしまいました。

2007年01月02日

アウトレットで旧友と遭遇

実家で過ごす正月とは退屈なものである。
家の中では何もないので、読書するか、TVを観るか、インターネットするくらいしか楽しみがない。

たまらず外出。
近くのアウトレットや天神を回ってきた。

アウトレットで大学時代の友人とばったり出会った。院試の勉強を共にした仲間である。
産業用ロボットを製造する某企業に就職したはずだったが、今年中途採用試験に合格して市役所に転職したとのことだった。なんでも一般企業で働くことに疲れてしまったらしい。
約10年ぶりとはいえ、なんだか見た目がやけに老け込んだような気がする。。。きっととても苦労してきたのだろう。
奥さんが買い物から戻ってきた。
少し昔話をして、今度機会があれば飲もうと連絡先を交換して別れた。

今度帰ってきたら連絡してみよう。

2007年01月03日

友人と長浜ラーメン

今日は大阪に戻る日。
最終の新幹線まで時間があるので、前日MMさんに連絡して一緒に長浜ラーメンを食べに行くことになった。MMさんは入社以来の友人で最近mixiで久しぶりに連絡が繋がった人である。

ラーメンは久しぶりに長浜将軍に行ってみた。学生時代から僕のお気に入りのラーメン屋である。他店はガラガラなのにこの店だけ行列が出来てて驚いた。
順番待ちして将軍ラーメンを注文。
具は至ってシンプル。チャーシューにメンマ、ネギ、ゴマなど。スープはあっさり豚骨だ。
これに辛子高菜をのせると、辛旨!

ラーメンも美味しかったが、場所をカフェに移してのMMさんとの会話が楽しかった。
MMさんは色んなことにチャレンジしている人で、そういうところは凄いなぁと感心させられてしまう。
それにお茶目で愛嬌があって面白い。ここで書けないのが残念だ。
結局コーヒー一杯で一時間半くらい話した。

福岡での最後に楽しい一時でした。

2007年01月10日

ナディアより

昨年夏、ポルトガルへ行く途中に友達になった女性から久しぶりにEmailが届いた。
彼女の名前はナディア。イタリアのヴェネツィアに住んでいる。

機内で席が近かったところ背の低い彼女が大きな荷物を頭上の荷物入れに上げるのに手こずっていたのを手伝ってあげたのだが、トランジットしたイスタンブールのアタチュルク空港の待合いベンチに座っていた僕の目の前に彼女が座ってきたので話しかけたのがきっかけだ。

日本にいるときの写真を見せてもらったり、彼女がお土産に買ったという日本の物の説明をしてあげたり、彼女の日本での話や僕がイタリアを旅行したときの話を、お互いたどたどしい英語でやりとりしたりして4時間くらいベンチで話をした。それから僕はリスボンへ、彼女はヴェネツィアへと別れたが、メールアドレスを交換してまた連絡を取る約束をした。

日本に帰ってきてから何度かやりとりをしたがその後プッツリと音信が途絶えてしまっていた。

久しぶりに来たメールには、返事が遅れたお詫びと今仕事を探していてものすごく忙しいことが書いてあった。彼女の専門分野での募集が見つからないのだそうだ。
彼女は仕事についてお金がたまったら、また日本へ行きたいと言っていた。
いい仕事が見つかるといいのだけれど。

ヴェネツィアの気候は今もそれほど寒くないそうだ。
ヴィネツィアへは5年前に旅行したが、とても美しい歴史を感じさせる街だった。
またいつの日か是非訪れたい。

年始早々から旅行癖がうずきだしてしまった。。

2007年01月21日

カンサイジン ノ キシツ

大阪に来てはや4年だが、改めて関西と関東の対人気質の違いに戸惑ってしまうことがある。

ここに越してきてよくあるのだが、エレベーターで乗り合わせた人によく話しかけられる。

「毎日寒いですねぇ。」
「ここの郵便受け、投げ込みチラシが多いですよねぇ。」

  「。。。そうですね。」

「いい自転車ですねぇ。」
「あったかそうな手袋ですねぇ。」

  「。。。どうも。」

「こないだエレベーターに犬のウンチが落ちてたんですよ。」

  「。。。はぁ?」

今日は往復二回しかエレベーターに乗ってないのになんと二回とも話しかけられた。
しかも一人は聞きもしないのにウィルス性の風邪にかかり胃腸にきて大変だったと、1階まで降りる間に僕に説明してくれた。

こんなこともあった。

自転車で通勤中に、前を走っている自転車を追い越そうとした時、その自転車が急に横に寄ってきてぶつかってしまったことがあるのだが、お互いに止まって「すみません」と謝ってると、後ろからキーコキーコ、、、とママチャリを漕いでいた見ず知らずのオジサンがすれ違いざま、

「そんなに急ぐからそうなるんじゃい!」

と毒々しく大声で捨てゼリフを吐いていった。

良くも悪くも人に関わることにためらいの無い気質なのだろう。
関東ではこんなことは殆ど無かった。

そういえば店での対応も違う。
例えば、今日は髪を切りに行ったのだが、大阪の理容店では何故か会話がはずんでしまう。

横浜にいた頃は理容師さんも「お仕事は何されてるですか?」くらいのことは言ってくるが、途中で自然と会話がなくなると大体黙っている。向こうもこちらに気を遣って話さなかったのかもしれない。
ところが大阪では席に着いたときから席を離れるときまで大体ずっと何か話をしている。大阪に来て3回ほど店を変えたが3店とも同じだった。

普段あまり関わりの無い人だから逆に話しやすいというのもあるのか、結構突っ込んだ話をすることもある。今の理容師さんの場合、如何にして転職の末理容師を志すことになったのか、その経緯まで聞くことになってしまった。将来の夢について、あと3回通えば教えてもらうことになっている。最初の理容店では将来この店を大きくしたいんだと話をされ、勉強会や講習会に参加して経営の勉強をしてるんですという話をされたことがある。関東にいた6年間ではまずありえなかった話だ。

4年前、大阪に来て初日にタイガースのハッピを来た集団を見たり、いきなり電車で見ず知らずの人に「にぃちゃん今日は(阪神の)試合どうなった?」って聞かれたりして、いささか関西気質についていけなかった僕だったが、理容店でひとしきり会話して、エレベーターで声をかけられてウチに戻ってきたとき、そういえば最近慣れてきたなぁと感じた一日であった。

2007年01月30日

FMさん来阪

前の職場でお世話になったFMさんが来阪された。

FMさんはアイデア満載の純粋研究者という方で、僕が研究所勤めのころ学会発表や特許執筆などで何かと相談させて貰いお世話になった方である。

折角の機会なので、じっくり話をしたいと思いウチに来て頂くことにした。
ホットプレートでお好み焼きを食べながら、最近の研究や事業化の動向について話をした。

自分と向き合うことの多い研究という職業は、経験したことのある人にしか分からない心中の見えない戦いがある。それは、会社が求める不条理な要求との戦いであり、自分自身の妥協との戦いである。多くの研究者はこれに破れ研究者としての道を捨てる。ある意味私もその一人だ。

FMさんは研究者として今も奮闘されており、僕はその姿勢に感じ入るものがある。
僕も頑張らなくては。。。

2007年02月24日

ラスト・セッション

「会社を辞めることにした。」

このブログにも時々登場していた親しい友人HI君がそう僕に打ち明けたのは数週間前うちで二人で飲んだ時のことだ。HI君の決意を、僕は心のどこかで「そうか、いよいよかぁ。」と思いながら聞いていた。

理由や今後については個人的なことなので触れない。
友人を送り出すのに企画した今日の送別会のことだけ書き留めておきたい。

今日の送別会はHI君と彼の彼女と同僚を招待予定だったが、残念ながら同僚たちはそろって風邪でダウン。結局僕を含め3人での会となった。

飲んだり食べたりするだけではなく何か思い出に残ることを一つやりたかった。そこでブログにも書いていた、かねてから練習してたセッションを急ピッチで仕上げて今日本番をしようということにした。そのためにこの一週間は時間があれば音を合わせ、そしてなんとか形にしたのだ。
それに加え3人で個人演奏を一曲ずつ持ち寄って、合わせて4曲。間もなく引き払われるHI邸にて3人だけのミニサロンを行った。


H.I邸にて

1曲目。CDの伴奏に合わせてHI君がサックス教室で習った一曲を披露。
2曲目。僕からユーミンの「海を見ていた午後」を贈った。
3曲目。彼女が昔嗜んだピアノ曲を披露。
そしてラスト。完成させたばかりのダイアナ・ロスの「IF WE HOLD ON TOGETHER」を3人でセッション。途中何度か危なくなったがなんとか合わせ切った。

急造メンバの上練習もほとんどできなかったので、もちろん演奏レベル自体は大したこと無い。
でも一つのことをなんとか形にしたというちょっとした達成感はあったと思う。
二人ともこの企画をとても喜んでくれたし、それが嬉しかった。

セッションの後はウチに場所を移して送別パーティ。
HI君得意のサラダ、僕の得意パスタ、その他をキッチンで作り、キール・ロワイアルで乾杯。
とりとめなく深夜まで飲んで話しをした。

これから一緒に飲めなくなるのは残念だ。
次に一緒に飲む時、きっと今日以上に美味い酒になることを期待したい。

2007年04月22日

姪、誕生

末の弟からメールが届いた。
5/20、無事に女の子が生まれたそうである。
写真も添付してあった。
わが弟の子ながら、しっかりした顔立ちで可愛らしい。

両親もようやくお爺さんお婆さんになったことに喜びを感じているようだった。
二番目の弟とは「初孫とられた!」と笑い話にもなった。

健康な赤ちゃんでよかった。
おめでとう!

2007年05月04日

弟の結婚式

ゴールデンウィークのど真ん中、本日はめでたくも弟の結婚式である。

昨日まで天気の悪い日が続いたが、今日はなんとか回復してくれた。
そんな弟の晴れの日、僕は昨晩38度の熱にうなされ何とかその熱が引いたばかりの病み上がり体を引きずっての参列となった。

場所は大阪天満宮。
ゴールデンウィークのためか、観光客らしき人が多い。

結婚式は境内にて執り行われた。
無論、式は純和式。装いも、新郎は羽織袴、新婦は白無垢である。
笛の生演奏や巫女の舞などもあり、なかなか本格的な式だった。

別館に移り、親族だけの披露宴。
参加した親族一人一人が自己紹介や新郎新婦の話をし、アットホームな披露宴であった。

さて、これで僕にも二人目の妹が出来たわけだ。

一言だけ言っておこう。
弟の好きな言葉は「なんとかなる」と披露宴で紹介されていた。
しかしこれからはどうか、「なんとかする」の心構えでがんばって欲しい。

おめでとう!

2008年03月09日

ハカセの結婚式

今日、学生時代の友人の結婚式に行ってきた。
”ハカセ”とは我々がまだ18,19歳の大学一年生の時に彼に付けたニックネームだ。
理由?無論その風貌にある。おそらく彼を見て多くの人が納得するであろう。

式場は”門司港レトロ”で観光名所となっている門司港。小倉からローカル線で20分。殺風景な海岸線の先にそのレトロな街はある。実は、11年前に私が新入社員研修で4ヶ月を過ごした懐かしい土地だ。旧門司三井倶楽部など、明治時代の雰囲気を今に伝える駅前からほど近い式場で、ハカセの結婚式は行われた。

ハカセとは大学のクラシックギタークラブで一緒だった。体は華奢で声も小さいが、誰にでも優しく面倒見の良い人柄から誰からも好かれていた。そんなことから我々が3年生の時に彼は部長に推され、1年間務めあげた。

ハカセは結婚式でも披露宴でも緊張のせいか声も小さかったが、考えてみれば小声で一言一言かみしめるように話すところは昔のままの彼のスタイルだ。奥さんは人当たりの良さそうな明るい人だった。しっかりハカセを支えてくれることだろう(逆!?)^^;

今日集まったのは当時のクラブ同級生7名。中には卒業以来の友人もいる。皆すっかりいいオヤジなのだが、それでもあまり学生の頃から変わってない。久しぶりに学生時代に戻り、昔話で盛り上がる、、、かと思ったのだが、近況報告に始まり仕事関係の話ばかりだった。入社10年を越えて中堅どころにもなってくると、仕事話が会話の共通語のようになってくるかもしれない。知らず知らず”オトナ(オヤジ?)”になったということか。
世間知らずで些細なことに一喜一憂し、金は無いけど情熱と希望と時間だけは溢れていたあの頃。まだガキで馬鹿話ばかりしていた俺たち。オヤジになってもずっと持ち続けていたいものだ。

互いの連絡先を確認し、また会おうということになった。
次は京都ででも、ちょいワルおやじで集まろう。

2008年03月18日

思いこみの心理学(マインドセット)

汐留での打ち合わせ後、丸の内OAZOにて久しぶりに友人と食事をした。
先日その友人から『実は今度、学生と付き合うことになった』と連絡があり、いくら何でもそりゃあ年が離れすぎなんじゃないの?という話をしてたわけだが、今夜その話になると彼はニヤニヤしながら言う。

「いやー、学生と言っても社会人を経験して博士課程に戻ってきたから年齢はそんなに離れてないんだよ。」

やられた。
つまり私の(学生=ハタチそこそこ、という)思いこみをカマにかけたわけだ。

まぁそれは彼のジョークとして、ちょうどMOTスクールで受講中のリスクマネジメントの講義でも『マインドセット』という話があった。所謂、「思いこみ」というやつだ。

ビジネスにおいて、このマインドセットはリスクを引き起こす、あるいは見落とす要因となる。
大手だから信頼できる、営業マンが誠実そうだから大丈夫、打ち合わせで話に出たから要件に入っているはず、、などの思いこみは全てリスクとなりうるわけだ。

全ての心理的リスク要因を回避するには、基本的に性悪説的立場をとるしかない。常に疑ってかかることになる。しかし、無論それではビジネスは立ちゆかない。(友情も破綻する^^;)

マインドセットに留意しつつも、いかに”スマート”にリスクテイクし、信頼あるビジネスを築けるか、、、
それが鍵だということか。。。なんてことを考えた夜であった。

About 人

ブログ「Tetsu Blog」のカテゴリ「人」に投稿されたすべてのエントリーのアーカイブのページです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のカテゴリはレジャーです。

次のカテゴリは仕事です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

2008年04月

    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

カテゴリー

タグ クラウド